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誰かがずっと名前を呼んでいる気がする。
音々子は歩きながらそう感じていた。校舎内を歩き始めてしばらくからだった。
でもそれがあの首無しジャックなのか、はたまた別の誰かなのか、呼ばれているのは音々子なのか、やはりそれも別の誰かなのか、歩いているうちにどうでもよくなっていた。
ナターシャに借りたドレスは、ロシアのおばあさんの遺品らしいが、純日本的な音々子には大きかった。
(何より胸の辺りがぶかぶかだわ。コルセットをしたらさらに余る。歩きづらい……)
しかしそれも慣れればなんとかなるものだ。
階段は大変だが、少し裾をつまんでお姫様のように淑やかに歩けばなんとでもなった。
そのうちに歩き方もさまになってきたように自分でも感じられた。
それにしても、春の学校はこんなにも寒かっただろうか。
(アイツちゃんと作戦通りについてきてんのかしら。なにやら寒いわ。一人で歩かせてるだけならただじゃあ置かないんだから)
独りが怖いわけではないが、なにかの気配をそこかしこから感じる。なにかは分からない。
階段を上っても気配がついてくる。
(これは央一……?)
試しにもう一つ階段を上る。
(やっぱりついてくるわ。央一なのかしら)
自分の感覚が鋭敏になりすぎていたのかもしれない。音々子は気にしないように歩き続ける。
しかし音々子は妙なことに今気がついた。
確かに自分の意志で階段を上ったと思ったが、足が勝手に歩いているようだった。
『………………』
今、何か聞こえた。
(人の声がしたわ、どこかしら。……手が強ばって動かない)
音々子の足はどこかに向かって歩き続ける。
次第に身体中の感覚が何者かに支配されていくような心地がしはじめた。だが心臓を鷲掴みされるような冷たい感触ではなく、ふわふわとした、眠りにつく手前のような心地だった。
『鶴子さん』
確かに聞こえた、男の声。
音々子は自分が呼ばれたのが分かっていたのだが、違う名前を呼ばれていることに違和感はなかった。
『鶴子さん』
呼ばれている。
しかし振り返ることができない。
音々子はこれが夢の中だからなのか、本当に自分の身体が動かないのがわからなかった。
『鶴子さん……』
何度となく呼ばれている。
声の主は段々と近づいている。今まで散漫していた気配が大きくなる。
『鶴子さん、ここにいたんだね』

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